「この世界の片隅に」を見て思った事を書き連ねてみた【ネタバレあります】

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先日、ちょっと話題になっていた「この世界の片隅に」をやっとDVDで見ました。

感想よりも、この事をブログに書くべきなのかをすごく悩みました。そもそも、「戦争」と言うのは私には気軽に書ける題材ではないんです。

それは、私のおばあちゃんが実際に原爆が落ちてから兄妹を探しに広島に行っていると言う事も大きくあると思いますし、他にも学生時代に色々と「戦争」の事を勉強してそれが強烈な記憶として残っているからかもしれません。

でも、今回、この作品を通して思った事を自分なりに残しておくのも大事な事かもと思い直し書いてみる事にしました。

なので、読む人によってはとてもくだらなくてどうでも良い事かもしれません。そして、私とは意見が違う事も多々あると思います。

なので、今回は私の独り言だと思って温かく見守って頂けると嬉しいです。

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すずさんがどんどん時代に飲み込まれていく感じがする

前半は和やかでコミカルな場面が多い

前半部分は、ほんとにただただ楽しいアニメと言った感じです。

ほのぼのして、まだ「戦争」と言う物が出ていなく穏やかに生活していると言ったところです。

それに、すずさんの創作した漫画のようなものは想像力がすごくておもしろいけど現実なのか創作なのかが曖昧でわからなくなる時があります。

しかし、徐々に戦時中の食べるのも精一杯でとにかく物がないと言う生活になっていきますがそこはすずさんの知恵と想像力などでコミカルに「笑顔」で乗り越えていく。

戦時中の一般市民の生活が良くわかるのは、この話の良いところでもあります。戦時中で、暗いイメージが多いなかそんな時代でも「笑顔」があふれていた事には少し救われる感じも私はしました。

周作のお姉さんの子ども「晴美」を亡くした後から少しづつ、すずさんが変わっていく

周作の家では、すずは周作の親はもちろんお姉さんとその子どもとも同居していました。

周作のお姉さんからは、チクチク小言を言われて十円ハゲまで出来ていたすずさんですがそのお姉さんの子どもの「晴美さん」には懐かれて楽しくすごしていました。

そんな中、すずと晴美が一緒に出かけている時に空襲を受けなんとかやり過ごしたと思っていたのも束の間で道に埋まっていた時限爆弾の爆発で晴美を亡くしてしまい、自分の右手も失ってしまいます。

晴美を亡くした後から、ほんわかで少し抜けてるすずさんがどんどん戦争に飲み込まれていくと言うか時代に馴染んでいくと言うか…。

そして、すずさん自身もそれを悩んでる?感じが見られるようにもなります。

そして、8月6日を迎えエンディングへ

空襲と言う、普通なら異常な物にさえ毎日どころか数時間おきにそれが起きると日常になり「空襲もう飽きた」と言う言葉になっていく怖さ。

この「空襲もう飽きた」と言う言葉には、平和な今を生きてる自分達には想像できない物の全てが詰まってると思いました。

そうして、8月6日の朝を迎えます。この日、すずは広島へ帰る為に支度をしていました。ここで、周作のお姉さんは晴美が亡くなって初めてすずを助ける(私は許したようにも見えた)。この事によって、すずは呉に残る事を決意したので原爆を免れる。

その後、広島には原爆が落ちそれは遠く離れた呉でも閃光と大きな地響きまで感じれる程だった。そして、大きなきのこ雲を目撃する。

近所の人が、広島市内に行く事を知りとても行きたがるすずでしたが、周りに引き留められ呉に残ります。

そんな中、近所の集会所には原爆に合ったであろうだれなのかもわからない人が座っていて次の日に亡くなっていました。後日、この人は近所の人の息子さんだと判明します。それが、何とも悲しく虚しくて…。

そして、8月15日の終戦を迎えます。

ここで、すずは家から飛び出して今まで「戦争=正義」だと思っていたのに本当は「戦争=暴力」だった事にきづかされ泣き崩れ死にたかったと言います。

これには、少しビックリでした。最初のほんわかすずさんからは想像できません。こんなにも戦争は人を変えてしまう物なのかと思いました。

終戦の翌年の1月に、すずさんは広島へ家族に会いに行きます。そして、草津のおばあちゃんの家にいる妹に再会します。妹から、両親は亡くなったことを伝えられ妹自身も原爆症の症状が出ていたが妹に「治らんとおかしい」と言い妹を励まします。

そして、呉に帰る前にすずと周作が話をしていると一人の戦災孤児の少女がすずに懐き離れません。そして、二人はその少女を呉の家に連れて帰ります。

すずさんの実家と周作さんの家はどのあたりなのか想像してみた

映画公開後に、「この世界の片隅に」に登場する場所のMAPが作られたそうなのですが見つからなかったので私の想像で書いてますのでご注意下さい

すずさんの実家

ちなみに、すずさんの実家の広島市江波はこの辺です。

すずさんがどの辺に住んでいたのかわからないので、いちお市内電車(路面電車)の江波駅を目印にしてみました。

しかし、すずさんは海苔の養殖?を手伝ってる場面や草津のおばあちゃんの家まで歩いて行ったりしているので左側の方の川沿いに家があったのではないかと個人的には思っています。

周作の家

すずさんは、買い物の行き帰りなどで「旧澤原家住宅の三ッ蔵」と言うところが出て来ていたのでこの辺りに家があるのではないかと思われます。

印のところから、右上方向には「灰ヶ峰」と言う山があります。

関係ないですが、広島駅から呉駅まではJRで約42分。昔は、もう少し時間がかかったと思います。

個人的に気になる事

なぜ、すずさんは原爆が落ちてすぐに家族に会いに広島へ行かなかったのか??

まず、見て欲しいのがすずさんの実家のあった「江波」と言う町は爆心地近くの「原爆ドーム」にとても近い場所にあるんです。

江波から原爆ドームまで、市内電車(路面電車)で約22分ほど。徒歩でも、頑張れば行けなくはない距離です。

そんなところに、家族ましてや自分の親や妹(それにおばあちゃん)がいるのになぜすぐに広島市内に入らなかったのか。

8月6日当日に、広島に行こうとして周りに止められる描写はありますがその後は翌年1月まで行こうとしなかったのが不思議でなりません。

電車が止まってたとか、原爆症がうつるなんて話も噂としてあったぐらいなのでしょうがないのかもしれません。でも、それでも行きませんか?

実際、私のおばあちゃんは呉の近くに住んでいて広島市内に兄妹を探しに原爆投下後、10日以内に行ったと聞きました。

そして、様々な人の体験談などを見てもすぐに広島市内に家族を探しに行ったと言う物がとても多い。

しかも、すずさんが妹に再会した時に「なかなか連絡できなくてごめんね」と言っていた様な。

と、言う事は約4か月も家族と音信不通って事?

日々の生活に追われていたのかもしれませんが、「すずさん、なんで??」と言う疑問が消えません…。そして、納得行く答えが見つかりません。

なぜ、すずと周作は戦災孤児の女の子を呉に連れて帰ったのか?

これも、わかりません。

この戦災孤児の女の子、すず達と出会う前に原爆で母親を亡くした描写があります。(そこが、ちょっとグロかったりも)

しかし、すず達と出会ってからそんな事を話してる描写もない。

そして、とりあえず懐いて離れないなら「預かってます」とかってどこかに書いたり誰かに言づけてる描写もない…。

残念ながら、私には完全に誘拐に見えてしまいました。

そして、この時代に戦災孤児はこういう風にどこかの家族に引き取られましたという印象も与えてしまうと思う。

実際にこういう事があったのかはわかりませんが、どこにも引き取られず自分たちの力で生きて行くしかなかった戦災孤児の方が多かったのではないかと私は思います。

「戦争」を考える一つの材料にはなると思う

個人的に気になる事に書いた事は、「物語」だからと言われたらそれまでなんです。

でも、こう言う見てて「なんで??」と思う事が大事なのかなと思います。あえてきちんと細かく書かず、描写を曖昧にした部分があるから自分で考え想像を膨らませる材料になる。

他にも、ほんわか・おっとりしたすずさんが主人公だからこそ「戦争」がどういう物でどうやって一般市民の生活の中にじわじわ入り込んでいるのかが良くわかる作品になっている様に思います。

そして、この作品の原作は漫画で映画ではカットされてるシーンもあるとの事なので漫画の方も読んでみようと思います。

その上で、映画を見るとまた違った角度でいろんな事をとらえて個人的に気になった事にも答えがちょっと見えてくるかもしれません。

そんな訳で、とても長い文章になりましたが最後まで私の独り言にお付き合い頂きましてありがとうございました。